ねびゆかむさまゆかしき人

アイラブユー クサイ言葉も言えるかも 冥土の土産に隠した恋文

春色の貴方へ

誰かを好きになるということは、何の変哲もないある一日が突然色をつけるようになることだと思う。

4月23日。

今日は私にとってそんな日である。




胃もたれしそうな激重ブログから気づけば半年が経っている。長かったような、あっという間だったような。内容が重複しないように読み返したけど相変わらず気持ち悪くて消したくなった。書き直してないから気持ち悪さが軽減してるわけもないのだが…
まあ、そんなことはどうだっていいんです。


半年というそれなりに長い月日を過ごしてきたが、私が彼に抱く気持ちや彼を見つめる目に大きな変化はない。
嫌だなと思うところはひとつもないし、彼自身に対してなんでそうなのかと悩むところもない。純粋にすきだな〜と思いながら全てを享受している。むしろ今まで見えなかった面が見えるようになってより一層好きになった。


この半年で、一番好きだなと思ったのは「言葉を無差別的な凶器にしない」ところだ。無意識に人を傷つけたり、意図せず誰かを敵に回したりすることが絶対にないように感じる。それに加えて、はっきり言うところははっきりさせて釘を刺す。そういうところが本当に好きだ。
ツイッターにしろ、インスタにしろ、ブログにしろ。言葉選びに絶対の信頼をおいている。インスタライブでの数々の失言や放送事故も笑い飛ばせるものやネタにできる程度のものしかない。…よね?
出会いがぶっとんだ印象だったため、そういったところに人間味を感じ、その度に「人として好き度」が増す。この人を好きになってよかったな、と思う。
好きな人=推しという方程式のもとに生きる寂しいオタクなので彼を呼ぶ時も「推し」と称することが多いが、好きな人という枠に収まらず、人として好きという域にきている。

与えてくれるひとつひとつの言葉が自然と心に入ってくる。烏滸がましいが愛だと思いたい。


愛といえば、この半年で大きく変わったのは「一方的」だった愛が「双方向性」を持つようになったことだ。彼自身の思いを発信できるようになり、それに対してこちらが応じられるようになった。
つまり、コメントやDMで思ったことを直接伝えられるようになったのだ。文明の利器の素晴らしさであり恐ろしさである。あなおそろしや。ちなみに私は対一の発言が怖すぎてインラのコメント以外はほとんどできていない。こういった大衆向けの大きな独り言は得意なんですけどね(知りません)いかん、話が逸れまくりである。

「双方向性」が生まれたことで、意外と我々(我々)が見られていることも、またどのように見られているのかもわかってきた。世界で一番素敵でおかしな関係性だと思う。これからも、できる限り長きにわたって温かい言葉や優しい感情の交換ができたらいいなと思う。
彼をのぞく時、彼もまたこちらをのぞいているのだ。こちらをのぞいているのが友人やご家族のパターンもあります。


書きたいことは山のようにあったはずなのに、書き留めてこなかった自分を恨んでいる。
「いしいけんたろう」で久しぶりにあいうえお作文の春バージョンでも作ろうかと思ったが諦めた。誰かやってください。唯一短歌は残ってたけどブログに書くの恥ずかしいのでそれも秘密にしておこう。
また、何かの機会にこうやって文章を残せたら嬉しい。勝手に書いとけってな、ハッハッハ



この半年、私のオタク人生にいろんなことが起きた。八割くらいは悲しい感情に包まれる出来事だった。その上、流行りのアイツのせいで10代最後の春は総崩れである。
そんな中でも光を照らしてくれたのは健太郎くんだった。春の木漏れ日のような優しい温もりと柔らかく吹く春風のような穏やかさで包んでくれる彼は春そのものかもしれない。






最後になりましたが、石井健太郎くん、お誕生日おめでとう!!!!!日々に彩りをありがとう